ちゃんちゃんこ

 

秋霖。刻々と秋が深まっています。雨の日は気温も下がるのでちゃんちゃんこを出してきて羽織りました。

愛用のちゃんちゃんこは、もう20年以上着続けているかもしれません。もともと母が使っていたものですが、お嫁入りするとき「お古でよかったら」と譲り受けました。

薄手で綿も入っていません。前身頃のトグルボタンは取れてしまい、裾は破れてきています。けれどとてもあたたかく、軽くて動きやすいので手放せません。そろそろ買い換えた方がいいのかな、とおもうのですが本気で探していないためか、もこもこの綿入りしか見つかりません。

 

突然、運送屋さんや学校の先生が来たとき「おばあさんみたいかな」と躊躇しますが、脱がずに出てしまいます。ちゃんちゃんこのあたたかさは一瞬たりとも手放せません。

 

tochiが「ちゃんちゃんこ欲しい」というので理由を訊いてみました。

「かわいいし、あったかいから」

〝かわいい〟の台詞に驚きました。tochiからみるとちゃんちゃんこは〝おばあさんみたい〟な古臭いものには写らないようです。これはレコードやカセットテープを知らない世代が〝味わいがある〟〝すてき〟とおもう感覚と同じかもしれません。

 

私よりはるかに暑がりのtochi。果たして本当に着るでしょうか。それよりも毎年身長が伸びるので、新しい外出用の上着を買わなくてはとおもいます。

 

まだ秋もはじまったばかりですが、冬支度もぼんやり視野にいれています。

 

ゴリラさま

 

昼と夜が半々になる秋の日、近くの珈琲豆屋さんまでtochiと散歩をしました。

良いお天気で少し汗ばむくらいです。近道しようかと、家々の間を縫うようにつくられた遊歩道を通ることにしました。道の行く先は楠や椎の木がたくさん植わった大きな公園です。遊具は数えるほどですが、背の高い木々や芝生が心地よく、tochiが幼稚園へ上がるまでは毎日通っていました。

懐かしい道を12歳になるtochiと久しぶりに歩きます。道の途中にカバさんとゴリラさんの置物があり、そのころの姿のままでいてくれました。色も形も本物そっくり。子ども向けに変にかわいくされていないのがまたいいです。カバさんは四本の脚が、ゴリラさんは座っている下半身が地面に埋もれています。どうしてだろうとおもっていましたが、もしかしたら子どもたちがカバさんの背に乗りやすいように、ゴリラさんの頭を撫でやすいようにそうなっているのかもしれません。 

 

なぜかゴリラさんの前にだけ、牛乳瓶の形の入れ物に青々した草花が挿しておいてありました。二つ並べてあって、まるでお供え物です。

「ゴリラさん、大仏さまみたいになってる」

おかしくて二人でけらけら笑ってしまいました。そしておもわず手を合わせてしまったのでした。

 

とても近いところにあるのに通らなくなってしまった懐かしい道。〝楽しいの種〟を一粒拾ったような気持ちになりました。

 

珈琲豆屋さんではじめて買ったビスケットは甘すぎず、ほんのりバターの香りがしておいしかったです。心がぽかぽかした一日でした。

 

赤色

 

この時季なにか赤いものを目にすると、次の春健康でいられるそうです。

いま目にしているものがそのときばかりでなく、ゆくゆくの自分に影響を与える不思議さ。針灸院へ行くようになってから〝人の体はなんと精巧なのだろう〟と感じるようになりました。的確な箇所をちょんと針で刺激するだけでみるみる気が流れはじめます。この経験をしてから人の体の精妙さに、きっとはるか遠い星々や目に見えないものの影響も受けているはず、とおもうようになりました。

精巧でいろいろなことものごとから影響を受けるからこそ、美しいものをみききしていたいです。

現実というのは醜く、惨いことも起こることを重々承知で、自分にとって〝学び〟のない苦しみや辛さであればそれはできるだけ避けるべきではないか、と考えるようになりました。苦しいこと、辛いことも生きているあいだは当然あります。自分の成長に必要なものでもあります。

けれども後々のことを考えると、学びのない辛さや苦さは避けられるのなら避けたほうがいいのかもしれません。

 

美しいものをみて、美しい音楽を聞いて。

人は醜く、残酷で冷たい部分もある。セカイはきれいなだけではない。そのことを知っているからこそ、美しいものに触れていたいのでしょう。

 

ハナミズキの実、彼岸花ケイトウ、 トンボ、夕日…秋は赤色が似合います。これから冬へ向けて木々は葉を落とし、虫たちも命を終えたり越冬の準備に入ります。深く静かな冬の前の、実り多き秋の季節は、醜いことを知っているから美しいものを求める心とどこか似ています。

 

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ウサギの刺繍

 

今年の仲秋の名月は満月ではないと知りました。

tochiの誕生日と重なるので、おだんごをつくってもいいし、ウサギの形のクッキーを焼いてもいいなあとわくわくしています。

 

ルドルフ・シュタイナーの教育では7歳までは体をつくる時期といわれ、幼児に文字を教えることはありません。子どもたちは自分の持ち物とわかるよう、マークを決めます。植物や動物など、その子の好きなものや生まれたときに咲いていたお花などを選びます。

tochiはお月見にちなんでウサギでした。通園バッグやスモッグ、ランチョンマットにもウサギの刺繍をしました。小学校へあがるときも、上履き入れや体操着袋など、そのままウサギの刺繍をしていました。

驚いたことに、時折そのころの通園バッグを使うことがあります。友達と遊ぶときにゲームを入れて持ち運んでいるようです。同級生の男の子は黒色のショルダーバッグなど使っていたりして〝新しいの買おうか〟と聞いても〝いい、〟と返事がかえってきます。もちろん、本人がいいならいいのです。ウサギの刺繍の入ったバッグを持った男の子。

 

私はシュタイナー教育は受けていませんが、本を読んで共感していた母はのんびりした、自然にかこまれた幼稚園を選んでくれました。そしてやはり持ち物に刺繍をしてくれていました。灰色の小さなスカートやジャケット一つ一つに二粒のサクランボの刺繍。

 

秋はコツコツしごとに向いています。

ウサギや小鳥の刺繍をした手提げなど作れたらいいなとおもいます。ミシンで指を縫いそうになったことがあるほど裁縫は苦手ですが、一針一針絵を描くように刺繍をさせたらいいなとおもいます。

 

玄鳥去

 

七十二候では、いまは玄鳥去〝つばめさる〟。

春にやって来た燕たちが南へ帰ってゆく季節になりました。私の家の周りではもう何週間も前から姿を見かけず、代わりに百舌鳥が山からおりてきたらしく、初音をききました。百舌鳥の聲には秋の日差しと静けさが含まれているようです。

 

お天気の穏やかだった敬老の日、Kumagoro氏と庭の手入れをしました。

気になっていたお隣さんとの境界の木を、おもいきって伐ってしまうことにしました。直径7センチくらいの幹をジョキジョキと鋸で伐ってゆくKumagoro氏。少し動くと汗が噴き出してきました。それほど太くはなかったのですが、高さは3メートルくらいあったかとおもいます。景色はさみしくなりましたが、東からの光が入るようになり、根元の南天も心なしかよろこんでいるようにみえました。

木を伐ったkumagoro氏「鳥の巣があるよ」と教えてくれました。

家のなかや下からは見えなかった高いところに鳥が巣を懸けていました。恐らくヒヨドリです。小鳥も巣立ち、空っぽになったまあるい巣。ビニルや細い枝で巧妙につくられた形に感嘆してしまいます。

家の裏手も点検してみると、もう一つ巣が懸けてありました。鳥が巣を作ってくれるのは四つ目です。我が家の庭を選んでくれたんだとうれしくなります。

 

燕もヒヨドリも去ってしましたが、また戻ってきてくれます。木々の葉が落ち、北風が頬を刺して春になって…気が早いですが、心待ちにしています。

 

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秋のはじめに

 

昨日は月に一度のtochiの体育の日でした。

駅前公民館までの行き帰り、自転車で走る道にはキキョウやケイトウが咲いていました。これから咲いてゆく萩や金木犀の花も楽しみです。空にも積乱雲ではなく、薄い、すじ雲がかかっていました。

 

とても涼しかったので、帰ってそのまま庭の草取りをしました。暑いときは到底できないのであちこち草ボウボウ。ゴミ袋二つ分になりました。

 

夏のあいだどこかふわふわしていた自分が帰って来たようにおもいます。

感情に流されずに考えごともできて家事もはかどります。心も体もたくさん動かしてすてきな秋にしたいです。

 

香炉

 

お月見に向けて香炉を飾りました。

月をおもわせる、あわい黄色のまあるい香炉は蓋にちょこんとウサギがいます。いまの私にはかわいすぎるのですが、色合いがなんともいえず美しいのでお月見が近づくと忘れず飾ります。この香炉は祖父の墓参に福岡へ行ったとき、百貨店で購入しました。大学生だったので桐箱のある器はドキドキして〝大人〟な気がしたのを覚えています。

 

この香炉をみていると一緒に暮らしていたウサギをおもいだします。ライオンウサギという、たてがみのある種類です。白い毛並みにところどころ茶や黒の毛が混じっていました。

秋の深まった10月、大学をどこにしようか迷っていた私は、母とともに気になる大学の文化祭に下見を兼ねて出掛けました。「いいかもしれない」が「ここに決めよう」と変わったその日、乗換駅の銀座で下車した私たちは本当にたまたま、松屋の屋上のペットショップでライオンウサギの子を見つけました。掌にのるくらいのふわふわなその子は小さく震えてはかなげにおもえました。以前飼っていたウサギを亡くして4年経っていました。

たてがみの細い毛が大輪菊の長い花弁にみえたこと、秋生まれだったことから〝キク〟と名づけました。一緒にお嫁入りし、亡くなったのはtochiが一歳のときです。

 

香炉が連れてくるいろいろな記憶。キクさんのこと、九州のこと、祖母のこと、大学のこと…

 

重陽秋分、お月見。お月見が近づいたらすすきを採りにいこうとおもいます。

 

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