往き来するもの
庄野潤三さんの本ではじめて読んだのは『うさぎのミミリー』でした。
大学生のときにうさぎと暮らしていたので、書店で目に飛び込んできたタイトルと河田ヒロさんのかわいい表紙につられてすぐにレジに持っていきました。読書で衝撃を受けた体験のひとつがミミリーです。「これが小説なの」と。
たんたんと流れてゆく日々。でもとてもあたたかくて和やかで楽しくて。
晩年の夫婦をつづられたシリーズでは庄野さんの奥さま〝こんちゃん〟の存在の大きさに、ファンになってしまう方、多いのではないでしょうか。おおらかでほがらかで働き者。憧れです。
作品のなかでは〝こんちゃん〟を軸にたくさんのモノがたくさんの人々と往き来します。お孫さんや娘さん、息子さんとはもちろん、ご近所のかたや同じ作家の方。モノも食べ物、お酒、お手紙…さまざまです。
私も隣駅に母が住んでいるので頻繁にモノの往き来があります。農家のお野菜やお茶葉、日用品などなど。私と母は〝こんちゃんと娘さん〟のようにのびのびしたやり取りだけではありません。時にはクサクサした感情のやりとりもあるのですが、それは仕方ないこと。血の繋がりがあるのでいつかクサクサも消えていきます。これからもやりとりは続くのだろうとおもいます。
小説でもそうですが〝モノの往き来〟にはモノの奥に相手への気持ちや、会っていなかった間の暮らしそのものが詰まっているのだなあとおもいます。
父の日に一足早く〝とてもおいしいパン〟を父にも母にも贈りました。よろこんでくれているといいです。