TONEとLAUT
オイリュトミーでLAUTの練習をしています。
〝LAUT〟はことばや、ことばの響きを体で表現するものです。例えば詩を朗誦してくださる人の聲に合わせて動きます。一方〝TONE〟は楽器音や音楽に合わせて動きます。どちらも自由に動くのではなく、決まった規則があります。
私は〝LAUT〟がとんでもなく苦手です。音楽に浸れる〝TONE〟はみんなと一緒にできること、音楽が後押ししてくれるので動いていてとても楽しいのですが、〝LAUT〟は一人でやるためか、カチコチになっておもうように動けません。
もともと人前に立つのも好きではなく、まして体を使ってなにかを表現することが自分でも信じられません。〝TONE〟をしていると自分を忘れ、楽しいという気持ちでいっぱいになるのですが、〝LAUT〟をしているとどうして私はオイリュトミーをしているんだろうと疑問が涌いてきます。我ながら極端です。
今朝ラジオで「嫌なことをどうして嫌なんだろうと考えることはなかなかない。でも大事」といっていました。
随分前にオイリュトミーの先生にも「反感を抱いたらそのことを大事にしなさい、反感を抱くということはそこに大事なことがあるのよ」といわれたことがあります。
嫌なこと、苦手なことに向き合うのはとてつもなく辛いです。
向かい合っても、うつむいた下向きはだめで、まっすぐに向き合わなければいけません。大事なこと、成長につながるとわかっていても辛いものは辛い。
まっすぐ向き合うにどうしたらいいのか、まずはそこから取り掛からないと、と少しもやもやした時間があります。